温泉津くらし

温泉津沖泊往還道

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古からの道、沖泊往還道

温泉津側は西念寺前から沖泊地区まで港と港を結び、古くから多くの人々が往来した道のことをいいます。

石見銀山支配者が毛利氏から徳川氏へ移り、慶長9年(1604)年に銀の搬出ルートが温泉津から尾道に変わりましたが、日本海側から銀山へ往来する幹線路としては毛利時代より続いてこの道が使われました。

行政的に温泉津の一部であった沖泊港は喫水が深く温泉津港よりさらに多くの船が入り、温泉津と沖泊両港併せて120艘の舟をつけることができる大港湾でした。

温泉津沖泊往還を守る会

二つの港を結び重要な役目のあったこの道も今では日常的に使われなくなり、深い森に消えようとしていましたが、平成26年『温泉津沖泊往還を守る会』を発足させ地域住民、ボランティアの方々による景観整備などを始めました。

まだまだ整備が必要ですが、以前は人の行く手を阻むようにうっそうとしていた森の中からは多くの石造群が姿を現し、歴史的価値を感じることができる新たな見どころとして訪れる人も増えています。

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